がんを治すべきかどうかという話
少し前に、大学でがん治療の研究をしているPDの先輩の話を聞かせてもらいました。
話の内容に関しては「しっかり研究しててすごいなー、生物って不思議がいっぱいだなー、治療法を考えるのも面白そうだなー」というゆるゆるの感想くらいしか出せなかったのですが、全体を通してほんのり抱いた疑問がありました。
それは「がんって治す必要あるの?」ということ。
以前の自分は、正直「病気はつらいから治ったらいいよね!」くらいのことしか考えてませんでした。
痛いのとか苦しいのとか嫌だもんね。なんかうまいことやって治るのなら嬉しいよね。それで長く生きられたら幸せらしいしね、って。
でも仕事を始めて、少しだけ見え方が変わりました。
体の各所に不調を抱えながら病院に通い続ける高齢者。苦しいけれど、生きるために大変な治療をする人。その治療のためになんとかお金を工面する人、工面できない人。
仕事の合間に「生きるのってなんのためなんだっけ?」と考えることがよくあります。
老人は死ねばいいとか、病気になったら諦めるべきとか、そういうことが言いたいわけではないです。自分や自分の身近な人が苦しい立場に置かれたら、なんとかしたいと思う気持ちが生まれるのはよくわかります。それを我慢する必要もない。
ただ、生物はいつか死にます。どんなに病気を治しても、いつかは死にます。死ぬからこそ、次の世代が生きることができます。
であれば、病気になることやそれによって死ぬことも、必然なのでは?病気を治すというのは、どこまでいっても終わりのない戦いなのでは?
とまぁそんなことを仕事中に考えていまして(←仕事しろ)
それでもやっぱり病気は治したいよなーと最初の考えに戻って(←)
最近になってやっと、技術が進歩する意義は、選択肢を増やすことにあるのだというところにたどり着きました。
ただその場合、「治療をする」という選択と同じくらいに、「治療をしない」という選択肢も尊重される必要があるのでしょう。だって、そうじゃなければやっぱり人は不自由なままだもの。
原爆や原子力発電の話でも言われるけれど、科学の進歩とともに、それを受け入れる倫理の進歩が求められるものなのですね。
できるかどうかと、やるかどうかは別問題。
やるかどうかと、その方法を研究するかどうかは別問題。
そんな考えにたどり着くことができて、やっと自分の中での疑問が一段落した気がします。
いつかはあの「生きることが幸せ」とかいう神話も打ち破られる日が来るのでしょうか。
とりあえず「病気だから治さなきゃいけない」という固定観念で苦しんでいる人達がその苦しみから解放されるよーな世界はいいなと思います。
…読んだこともないけど「がん」で検索したら出てきたので貼ってみた。変な本だったらごめんなさい。